フランス奮闘記録

総合商社をやめることにした

総合商社に総合職として入社したのは今から10年前。

アジアでバリバリ仕事がしたい(中国語好きだった、強くなろうとする国の空気が好きだった)。新しいビジネス、商流を作りたい。という一心でドキドキワクワクの入社式。

 

配属にこだわりはなかったので、与えられた仕事をできる限りきっちりこなした。それでも1、2年目はバカなミスばかりで、上司とのコミュニケーションもうまくいかず私は仕事向いていないんだと思っていた。

 

一度上司にガツンと怒られて、自分の基本動作を見直した3年目から歯車が上手く回るようになり、なんだかんだで常に面白いと思いながら仕事をしてきた10年間だった。その間、中国での研修、出張、新規ビジネスへの注力など本当にこの会社ならではの経験を積ませてもらった。

 

しかし、その10年で薄々気付き始めていた。私が女性ということでバッターボックスに立てないことがあると。上司には毎年初心の夢を語っていたし、中国の駐在ポストが空いたときは、関連業務の日本側担当としてきっちりやっていた自負もあり、絶対私だと思ったが、次の中国駐在は私ではなかった。

 

私の実力不足とも考えられるが、そんなこんなで、アレ?と思うことが何度も重なり、10年も経ってしまった。仕事の割り振りに関しては変に女性に配慮している気がしてならない。

 

女性だからって変な配慮なくていいのに。

 

この先10年おそらく上司の顔ぶれはそこまで大きく変わらない。つまりこのまま務めたところで同じシーンが繰り返されるだろう。そう思った時この会社にずっと居続けていいのだろうかと初めて疑問が湧いた。しかし一緒に働いているメンバーは家族のように最高、何でも相談できるし、仕事の面でも限られた範囲ではのびのびやらせてもらっている自覚はあり、そんな疑問はその他の好条件によってかき消されていた。

 

夫との結婚は私にとって何の衝撃にもならなかった。夫がアメリカ駐在になっても、当たり前のようについて行かず、遠距離婚を満喫した。が、出産は自分の惑星にどでかい隕石が落ちたようなもの。子供できて始めて自分の時間がなくなったことに気付く。一方で大切な存在ができることによって、この大切な存在をどうやって最高の状態で育てるかということに自分の意識が向き始める。そのためにはお金が必要だ。やはり稼ぐことだ。私は会社に戻ってできることを精一杯やるのだ。意気込んでいた。仕事の目的が稼ぎにすり替わったものの。。やる気は十分。

 

そんな矢先に夫が海外転職となった。

 

上記の状況で私には二つの選択肢:

1.夫と離れて会社に戻りワンオペ育児と仕事をこなす。期限不明。

2.仕事を辞めて家族一緒に暮らしこちらで仕事を再構築する。

 

考察(金銭や感情入り混じっていますが、真っ先に思いついたもの列挙):

1.メリット/所得、安定、世間体がいい。

 デメリット/女性として変に配慮されることで、将来およびキャリアへの暗雲。

2.メリット/家族の絆、自分の新しいキャリアの可能性。

 デメリット/これから先の約束された生涯所得〇億円を捨てる。

 

夫が数年の海外転勤なら迷いなく1.を選び自分のキャリアよりも将来に先立つものを優先していたでしょう。そして数年後には家族で暮らせる。しかし今回夫の移住が無期限。世帯年収は半分以下になるが中流階級として生きていけるレベル。

 

夫が言葉もわからない新しい土地で転職することで感じるであろう不安を放置すること。休みのたびにスカイプやラインをすることで、お互いの面倒が増えること。(遠距離長かったので、、もう画面越しではどうにもならないことを実感)。さらに会いに行く時間と旅費の無駄。ダブルでかかる生活費。自分が今の会社に居続けることによるキャリア構築の不透明さ。

 

これらを鑑みて、悩みに悩んだが会社は一旦退職し、家族でこの地に移住。全力でフランス語を習得し、こちらで在宅ワークおよび仕事を探すことにした。

 

大切な存在の子供はしばらくヨーロッパで成長していただくことになる。幸いまだ1歳なので高度な教育必要なし(と思ってる)。今のうちに私がフランス語をしっかり習得して、就学年には学校選びや先生との会話をしっかりできるように頑張ろう。むしろそうなっていないと子供の教育ズタボロになってしまう。

 

今まで、学校、会社、仕事さらに結婚相手も、、自分で選んできた。だから何があったも自分で責任を持ってやってきた。今回の退職は夫の選択に引きずられた(言い方悪いがそうなる)ことになる。これは私が将来何かあったときに文句を言うパターン。

 

でもここでまとめたように自分で家族移住の選択をした。これは間違いない。将来の自分のために、、、