フランス奮闘記録

パリでCDIまでの道のり

2018年に渡仏してから、何かきちんと仕事がしたかった。

子育てと自分のスキルを見つめ直して早4年。

とうとうフランスの企業とCDI契約を結ぶ時が来た。

 

初年度はは夫の就活もあったし、子育てでてんやわんや。フランス語のモチベーションはゼロで、ただただ過ごした1年。夫の就職が決まり私も退職。

 

さあ、私は何ができるのだろう。

 

運よく前職の先輩に紹介してもらった方経由で就職が決まりかけるも、イタリアに通わなければいけないポジションなのに私が子育て優先したせい(だと思っている)で破談。

 

2019年

フランスで働くなら、フランス語は絶対の印象。

とりあえずフランス語やらねば。A1に入れられそうになるのを阻止してA2のクラスで約1年間語学学校に通う。おかげで、友人もできたし言語もワンステップ上に上がった。

 

2020年

さあ、次は就活。と思ったが自分は何ができるのかわからなくなり立ち止まる。所々でこれはと思う求人に飛びつく。面接までは進むが、うまくいかない。ちなみにフランス語はB1というレベルでとても仕事で武器にならないので、英語でいけそうな求人かつ、自分の日本での経歴が役立ちそうな求人を探す。そうなるとこれは!と思う求人は四半期に一回あるかないか

  • アート系ベンチャーは英語力足りず落ちる。
  • 日本アニメライセンス管理は面接準備が足りず落ちる。
  • ウェブマーケティング会社は技術足りず落ちる。
  • 日本公的機関の契約請負は経験人脈足りず落ちる。
  • 日本公的機関の調査員は書類で落ちる。

こうなったら企業に雇ってもらうのではなくて、自分で仕事した方が良いのではと思い個人事業主として、日本の中小企業海外サポートを微々たる収入で請け負う。

いわゆるフリーランス

  • 人との関わりが極端に少なく、心が不安定になる。
  • 稼いだお金も社会保障費などで差し引かれる。
  • 保育代払うのがやっとの微々たる収入。
  • 業務量に対して収入が少なすぎる。

と、家でフレキシブルに働ける魅力は大きいし、経験は積めたものの、それ以上に「嫌な面」が大きくやっぱりこれじゃないという思いが募る。私は企業勤務が向いていることに明確に気づき、就活のモチベーションが一層上がる。

 

2021年

第二子出産したため、おそらく最後の子供になるからと1年はたっぷり子育てに注ぐ。ただどこかで今までの就活失敗は常に頭にあったので、何かしようと漠然と考える。

ウェブ系マーケティングは求人が多いので、触りだけではなく、根本的なウェブ系の基礎知識は身につけようと決意。まず出産後半年は思うように動けないためオンラインでフランス語。その後は日本のプログラミングスクールに100万円くらい払って、マンツーで半年間web制作の基礎を学ぶ。

 

2022年

プログラミングスクールが終わり、さらに個人事業主のスポット業務が終わった。さあこれからどうしようかなと思っていところ、ハンガリーの友人(語学学校の友達)がパリで働きながら歯科助手の研修を受けていることを知る。彼女に刺激されて本格的に求人をチェック。ウェブ関連でこれは!と思うものが1件見つかる。

過去の面接の失敗を繰り返さないように、その1件に集中して万全の状態で選考に進む。書類、3次面接を経て採用連絡をもらう。

 

今までの就活の失敗も、フリーランスの経験も、語学学校で培った友人関係も全てが絡んでこの結果を得ることができた。フランスきてから仕事のことで一回も心が晴れたことがなかったから、今は素直にやっとここまでこれた。という気持ちしかない。

 

次は仕事をいつも通りきっちりやって成果を出して、1年後には業務も報酬も上がるようやるだけ。

 

 

 

 

 

 

最終面接から4日放置っていうのはどうなのか。

最近面接を受けました。

 

1次面接を受けたのが月曜日、2次面接を受けたのが火曜日、3次面接を受けたのが金曜日。

そして連絡がないまま今。

これはどうなの??いや、いいんだけどなんか腑に落ちない。

もう4日経っているじゃない。早めに結果出ると聞いているんだけど、

からしばらくドキドキしていたのに、もう終わったものと思ってなんとも思わなくなった。

もし欲しい人材ならやっぱり早めに連絡するよね。

最終まで行ったので期待したけど。もう次だわ次。

夫が出張で自分が羽になった気分

夫が1週間の出張。

子供ができてから、病めるときも健やかなるときも一緒にいた夫。

辛い気持ちも楽しい気持ちも分かち合い、

子育てや家事も積極的に手伝ってくれて、、

ロックダウン中も支え合って生きてきた。

なんなら2009年くらいからずっと一緒。

子供ができる前はお互い出張が多くてすれ違いが多くて、家族というより同志。

それが息子の誕生で家族になり、家族以上のつながりを感じる。

夫のことは心から大事に思っているし、大切な人です。

そんな夫が明日から出張でしばらく不在。子供は4歳と1歳が二人。

ワンオペになるんだな。寂しいな。いやだな。早く会いたいな。

そんな気持ちで夫を送り出した。

なんなら夫の出張がイースターのバカンス中なので、3日後に夫出張先のイタリアに行くということにまでした。家族で楽しく過ごすために。

 

 

そして今日夫を送り出して扉を閉めたら。

なんとも言えない心地いい開放感が!!!

子供二人はもちろん大変だけど、寝かしつけの時間に寝せられる快感。。

よく考えれば夫は良かれと思って遊ぶ。そして就寝前の息子を興奮させる。

絵本読むのはいいが布団の上に座って読む。寝せるために読むんだから寝転がって読んでよ。というと「見えない」という反論。

そんなこんなで興奮している息子は21時近い就寝になってしまう。

一方今日は私のやり方で20時きっかり就寝。

こうやって自由時間もできる。

 

そして掃除も洗濯も夫がいないだけで、大人の衣料や誇りが減るだけでとんでもなく楽になる。

糖質制限している夫の別メニューも気にしなくていいし、

タイミングずらして食べられるご飯を待って食洗機を回さなくてもいい。

全てが私の意のまま!!

 

寝かしつけの後リビングで仕事をする夫がを応援して「頑張れ!」と思っていたけど、

今考えれば私が思うようにくつろげていなかった。

夫の謎のセカンドスクリーンを片付けて、好きにリビング占領して、

好きなワイン飲んでネット。

もう最高すぎてふわふわやりたいようにやりたいことができる羽になった気分。

この状態が後2日で終わるのは切なすぎる。

イタリア行くのやめようかな。

 

 

34週 経膣分娩(VBAC)か帝王切開の選択

2回目お産をする病院で産婦人科の先生と面談。

フランスの場合、婦人科、エコー専門医院、血液検査と別れているので、

それぞれの場所で今まで検査してきた結果を、産婦人科医さんが総合的に診るための面談がこの34週の産院面談。

 

流石に産院でもエコーくらい見るでしょと思いきや、簡易エコーで心音の確認だけしてメジャーでお腹の大きさはかられただけ、、、内診もなし。お腹触って終わった。

 

あ、そんなもんなんだ。

 

というのも私自身は至って健康で、糖尿もない。順調で持病もない。この妊娠中出血もなかった。胎児も全く問題なく成長している(らしい)。

よって全てが順調。

 

この面談の本題は私が「経膣分娩」か「帝王切開」を選択する必要があるということ。まずとても順調なので、「どちらでもいい」というのが産婦人科医さんの見解。

万が一意見もらえれば嬉しいなと思って「どっちがいいかな?」と聞いてみたけど「私には選べない。でも今日決めて。」ということ。

 

でもこの選択の日はいきなり来たわけではなくて、妊娠期間中ズーっと考えていたこと。VBACの資料を読んだり、Youtubeをみたり。前日の晩は夫とも話し合った。

 

経膣分娩を選択する理由

1.経膣分娩に挑戦できる条件が備わっている。

前回の出産は予定帝王切開で横切り。「胎児」が大きくて帝王切開適応となった。(骨盤が小さいというわけではない。)子宮の手術歴は1回

2.産後の回復が早い

問題なければ3日で退院。上の子もいるし、頼れる親戚いないし、早く回復するに越したことはない。

3.第三子を考えた時のメリット

何回も帝王切開すれば、子宮に傷がつくのは当たり前なので、次の妊娠の前置胎盤、低置胎盤リスクがある。

 

帝王切開を選択する理由

1.子宮破裂のリスクが怖い

 条件は揃っているものの、35歳超えての出産で経膣分娩だと子宮破裂のリスクが1%上がるなど、病院からもらった資料を統合すると1.5%ほどは子宮破裂のリスクが残る。帝王切開にももちろんリスクがあるが、それでも日本の病院が帝王切開経験者の次の出産で経膣分娩を勧めないということは、リスクの大きさが違うのかもしれないという自分の中での判断。

2.陣痛促進剤が使えず、帝王切開になる可能性もある。

 VBAC挑戦は陣痛促進剤は使用できないため、自然陣痛でお産が進まなければ緊急帝王切開に切り替わる。

3. 予定が立てやすい

 陣痛から始まってバタバタするのではなくて、出産日が予定されているということがかなり重要ポイント。知り合いはいてもいざという時に気兼ねなく頼れる人がほぼいない。夫の仕事具合や子供の保育など、全て段取りつけて出産に挑める。

 

ということで、私は「予定帝王切開」を選びました。もともと帝王切開で産むしか選択肢はないと思っていた。フランスにいるおかげで、もしかしたら経膣分娩できるかもということになると、下から産んでみたいなという気持ちも芽生えてしまい迷いが出てしまった。帝王切開ってすごーく痛い。

 

でも私にはまだやりたいことが残っている。心身ともに安全安心に出産することを第一に考えたら、「子宮破裂するかも。」「帝王切開に切り替わるかも。」なんて不安に駆られて出産したくない。

 

私が「帝王切開」を選択肢したら先生は淡々とカルテに書き込んでくれました。フランス語もわかりやすいようにゆっくりはっきり話してくれて、明るい感じでとても好感のもてる先生。(彼女はアシスタントなので取り上げることにはならないと思うけど)

 

39週に手術予定となり、病院から該当日の連絡が来る予定。日本の予定帝王切開だと38週が主流!?

 

次の検診面談は38週になる予定。残りの1ヶ月で足りていない血液検査をして、夫は必要なワクチンを打って、入院の準備をして、お手伝いに来てくれる予定の妹のフランス滞在段取りつけて、、という具合に仕事も終わっていよいよ出産に向かって動き始めます。

 

日仏の帝王切開比較できるかも。(もう日本で経験した帝王切開のこと忘れかけてる、、!?)

3歳2ヶ月 習慣と言葉

習慣

-小さいボタンの止め外しができるようになった。

-片足でくるっと回れるようになった。

-歩いて出かけられるようになった。(たまに抱っこ必要)

-文字に興味を持つようになった。

-スキップするようになった。

-自分の所有物(幼稚園カバン、上着など)を所定の場所に揃えられるようになった。

-トイレが完全に身についた。夜のオムツはまだ継続。。

-手をきちんと洗えるようになった。

-絵画に頭足人が現れるようになった。

-起きてから幼稚園に行くまで。幼稚園から帰ってきてから寝るまで

きっちりやることの流れが把握されていてルーティーンで生活できるようになった。

-知らない人に対応できない。挨拶苦手。固まる。隠れる。

-衣服の着脱は少し助けが必要。

 

言葉

-日本語しかわからないというスタンスを強めに貫いたら、家では日本語で伝えるようになった。

-〇〇「と」〇〇という助詞がたまに出てくる。ただし「車見る。車見たい。」というような簡単な二語文が中心。

-語彙が豊かになってきた。(ように感じる。)野菜や動物の名前など

-何かを伝えたいときは必死に話してくれるが、まだ単語拾うので精一杯なことが多い。

-1,3,5と奇数だけで個数を数える。フランス語も1-3までなら言える。

-自分の名前と歳は答えられるようになった。

-一体どれくらいフランス語能力あるのか不明。。。

 

3歳になってからできることがぐんと増えた印象です。習慣もそうだし、言葉も。ただ我が息子は1歳下の姪っ子の言葉とほぼ同じくらい笑

 

フランス語 08 もう自分が嫌、、根深い習性

私は2018年1月にフランスに住み始めた。今は2020年11月もうすぐフランスで生活して3年経ちます。悲しいかなフランス語には引き続き不自由しています。

 

第一子の育休中にフランス行くことは確定していたので、フランス語を勉強し始めたのはアテネフランスの入門コースで息子妊娠中の2017年6月くらいかな??

 

それからアテネフランスで初級コースまでとったものの、受け身で授業受けていてほとんど身につかないまま、2018年のスタートともに渡仏。

 

フランス生活スタートは留学生寮だったで、フランス語よりも英語使って生活していた。たまにしか使わないフランス語に全身全霊をかけて勉強する気にもならず、、、もしかしたら日本に帰国するという可能性もあったので、のらりくらりの生活。むしろ英語勉強していた。

 

フランス語使うときはフレーズを事前に自動翻訳にかけて、紙に書いてカタカナふって読み上げる。という悲しいもの。この手法だと相手に意思が通じたとしても、相手からの返答がチンプンカンプンになるので、本当に使えるフランス語とは程遠い。

 

そんなこんなであれよあれよと夫がこちらに転職することになり、2019年2月に退職。そこから自分の就活がスタートしました。

 

縁があって前職の同僚に紹介していただいた仕事では「フランスで生活しているのに、フランス語使えないと役に立たない」ということはっきり言われる。

そう言ってもらえることがどれだけありがたいことか。甘い気持ちの自分を反省して、フラ語学習モチベーションマックス。自分なりに必死のパッチ。中国語を半年で身につけた2013年のプロセスを辿ろうと考え、できるだけ同じ手法を目指す。

2019年4月頃から個人レッスンの先生を2人つけて夏まで猛特訓。2019年9月から就活しながら市の語学学校に通う。仕事が始まっても語学学校はほぼ休まず2020年6月まで続ける。

この時の自分のフランス語に対するモチベーションは本当に高くて、ここで頑張った自分をとりあえず褒めておきます。おかげでフランス語を喋ろうとするときにある程度スラっと口から出てくるようになった。簡単な会話はどうにか切り抜けられるという状況まできた。

 

そして、2020年6月以降は第二子妊娠により語学学校を途中で離脱しなければならないため、語学学校は一旦中断し仕事に集中。個人レッスンの先生もコロナのおかげで疎遠になってしまった。

 

フランス語の時間が仕事になったので、仕事はある程度順調に進んだものの、語学学校でリズムができていたフランス語がだんだん遠のいてしまう。

語学学校は先生が容赦ない宿題を出してくれたおかげで、家でも自習していたが、そのプレッシャーがなくなるとだんだんと空いている時間を、仕事や自分の娯楽時間に当て始めた。そしてとうとう週に1回1時間の個人レッスンしかフランス語に向き合う時間がなくなった。。。単語帳も6月以降全く埋まっていない。。。

日本のオンライン語学学校も始めたものの、出席してもしなくても良い状況というのが、私にとってはもう最大の敵で、、出席しなくてもいいとなると出ない。。

 

本当に私は放っておくと「易きに流れる」ので呆れています。。。

 

もうこれは小さい頃からの根深い習性で、自覚は十分にしている。周囲にハッパかけてもらったり、良い意味で刺激を受けないと、「なにクソ」精神で取りかかることができない。むしろ今の自分には届かない、高いレベルに触れる機会がないと、学校選び、就職活動、全てが易きに流れていたんだと思う。

 

幸い?「自分は易きに流れる」という自覚持っているので、いつも気をつけながら生活していて、ああ流れているなーと思うとどうにか軌道修正するような道や人を見つけるようにしてきた。

 

今はフランス語がそんな感じ。また流れた自分がとっても嫌になって、フランス語のモチベーション低下を環境のせいにしてみたり、そもそもこんなことは望んでいなかったとか言ってみたり。自分でもこんなくだらない言い訳して、相変わらずバカなこと言っているな、、、と思いながらもその部分にきちんと向き合えず今年の夏からここまできました。

 

今月で仕事も一旦落ち着くし、出産子育てに集中する今の時期だからこそ、更に少しきになる求人がやっぱりフランス語必須だったので、もう一回フランス語に取り組もうという気持ちになった。

 

なにから始めるか。家にあるテキスト全部引っ張り出してみたり、いいと勧められた教材を購入してみたり、学習計画立ててみたりする。そういうのは昔からとても好き!笑

 

でも最後まで計画通りに実行できない悲しい習性。

 

計画立て始めてモチベーションが戻った?つもりになった自分をまずは褒めて、たとえ途中で挫折してもほぼゼロでなにもしないよりは、実行することに意味があるのは間違いない。

なかなか難しいですね。人間というのは

ここ最近仕事の身内パートナーがゴタゴタしてきていて正直疲れる。

 

合う合わないあるけど、規模が小さいからその人と仕事するしかないっていう状況は結構きついものがあるよね。

 

しかもテンションだって自分と常に同じなわけないから尚更。私は常に在宅だし、同じオフィスで働いていないだけマシなのかもしれない。

 

初めは私とパートナー1人だったから自分の問題として、処理すればよかったし嫌なことは相手にぶつけていた。自分がしないといけないことをやり続ければよかった。

 

でも人が増えるとそれぞれの思惑もあるし、パートナーが人によって態度を変えるというありえない行動が露骨に見えてしまい。今まで以上にパートナーの嫌なところがすごくはっきり見えてきた。そしてがっかり。なんとなく不穏な空気を感じていたのだけど、そろそろ私も周囲も爆発しました。

 

かなり信じていたパートナーが遠方であまりに仕事していないという事実もわかって、今まで自分が一生懸命やってきたことが少し馬鹿らしくなって気が抜けてしまった。なんでこんなに頑張ってしまったんだろうと。

 

そんなこんなでいまは本当に引き際なんだろうな思うに至るのでした。

仕事は楽しいし、続けていたいんだけど人間関係って大事だよね。この状況で私はもう昔みたいに仕事できないわ。仕事のパフォーマンス結構左右されるんじゃないかな。